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​日本茶の話

​銘茶のふる里

​福岡県八女地方

日本茶の歴史
​八女茶の始まり

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栄西禅師座像 背振山 多門坊跡
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日本茶の始まりは現在の佐賀県吉野ヶ里町、

建久2年 (1191年) に臨済宗の開祖、栄西が中国より茶の種子を持ち帰り、脊振山の中腹に開山した霊仙寺で栽培を始め日本の茶の栽培の発祥地とされています

 

八女茶の始まりは、その後西暦1423年(室町時代)栄林周瑞禅師が八女市黒木町笠原に霊巖寺を建立し種子と製法を伝えたことで八女の地に茶が根付き今日の八女茶と受け継がれてきました

 

栄西禅師からもたらされた「喫茶養生訓」の教えから後の明恵上人の「茶の十徳」等時代の教養文化の中に​日本茶は、深く浸透していきます

 

※日本茶に限らず、歴史を語れば各地域で、

色んな諸説がございます緩やかな知識の一つでご認識くださいませ​東京国立博物館HPや栂尾高山寺HP等もご参考下さい

栄林周瑞禅師像

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福岡県八女市黒木町笠原 霊巌寺

栄林周瑞禅師像 

​日本に茶をもたらした栄西禅師

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佐賀県吉野ヶ里町松隈

霊仙寺(乙護法堂)

佐賀県神埼市脊振町服巻

多門坊跡

栄西禅師の著した「喫茶養生記」

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延命の妙薬_edited.jpg

​栄西禅師からつづく 明恵上人の茶の十徳

​茶の十徳

ten`s  Virtue  of  tea

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お茶のこぼれ話

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江戸時代の中頃から日本各地で茶の

生産が盛んになり、明治期となると

輸出品目として国の基幹産業となる

文部省唱歌『茶摘み』の歌は、

過酷な労働歌が原型となっている

​明るく爽やかなだけではないようだ

 

♪夏も近づく八十八夜~♬

さぁ、摘め、やれ、摘め、もっと摘め~

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